Moonlight Serenade

  • Oct 03, 2015
  • Pankie Koba

きっと誰もが一度は耳にしたことがあるグレン・ミラー楽団のテーマ曲です。

アメリカでは第2の国歌と言われてるくらい愛されてる名曲なんです。

その作曲者であるグレン・ミラーの話を少ししましょう。1904年にアイオワ州クラリンダで生まれ、1915年11歳の時、ミズーリ州グランドシティに引っ越してからトロンボーンを始め、コロラド大学に進学するもほとんど行かずに中退し、ニューヨークでプロのトロンボーン奏者になりますが、全く売れない時代が長く続きました。やがてトミー・ドーシー、ベニー・グッドマン、レッド・ニコルズなどの当時の人気楽団のリーダー達と親交を結び、彼らの勧めで1937年自らの楽団「グレン・ミラー・オーケストラ」を結成後、1939年から1941年のたった3年間に「ムーンライト・セレナーデ」「茶色の小瓶」「イン・ザ・ムード」「真珠の首飾り」「タキシード・ジャンクション」「ペンシルバニア6-5000」「チャタヌーガ・チュー・チュー」と次々に大ヒット曲を発表し、バンドリーダー、作曲家、編曲家として絶大な人気を博しました。しかし第二次世界大戦の勃発に伴い1942年陸軍航空軍に入隊し、慰問楽団を率いて精力的に演奏活動を 行っていました。そんな最中の1944年12月15日、イギリスからフランスへ慰問演奏に飛び立った後、乗っていた専用機が消息を絶ったのです。なんとまだ40歳でした。

そのグレン・ミラーを世に送り出した曲が「ムーンライト・セレナーデ」です。

グレン・ミラーがまだトロンボーン奏者兼アレンジャーとしてレイ・ノーブル・オーケストラに在籍していた1935年当時、妻のヘレンの勧めで作曲・編曲を本格的に勉強し直していました。ある時先生のジョセフ・シリンガーから作曲の宿題を出され、ピアノに向かって作りかけの曲を弾いていると、ヘレンがそばにやってきて「素敵な曲ね。楽団用にアレンジしてみたら」とアドバイスされます。やがてエドワード・ヘイマンが歌詞を書き、「Now I Lay Me Down To Weep」(身を投げてすすり泣く)という歌曲になりましたが当初はまったく注目されなかったようです。できたばかりのこの曲をヘレンにピアノで弾いて聴かせる場面や、初演の時の演奏がミラーの抱く楽想とまったく違ったものになっていて、クラブで聴いてたミラー夫妻がガッカリする場面など、映画「グレン・ミラー物語」の名場面を思い出します。

その後ミラーはテンポをスローにしてアレンジにも手を加え、タイトルを「ムーンライト・セレナーデ」に変えて、1939年ビクターで録音し直します。そしてフランキー・カール作曲の「サンライズ・セレナーデ」とのカップリングで発表したものがミリオン・セラーの大ヒットを記録したのです。間もなくミッシェル・パリッシュが歌詞をつけ、歌曲としても歌われるようになりました。

この曲のテーマ部分は随所にパッシング・ノート(テーマ音に移行する時に使う半音低い音)が使われ、そのハーモニーも当時ではとても斬新なものでした。ミラーが編み出したハーモニゼーションは近代ジャズの基本とも言えるものです。

そのちょっぴり甘く、ちょっぴり切ないテーマ部分をブラス・セクションが絶妙に表現しています。 さらにここでのブラス・セクションによるオブリガート(主旋律を引き立てる短いフレーズ) が、なんとも言えず情感を高める効果を発揮しています。そして中間部のクラリネット・ソロと、間を縫うように流れるピアノが印象的です。まさに月の光の下、愛しい人がいる窓の外で優しく奏でられるにふさわしい名曲だと思います。

是非、フランク・シナトラやエラ・フィッツジェラルド、カーリー・サイモンの歌も聴いてみてください。

もちろんグレン・ミラー・オーケストラの演奏も。

因みにミラー没後71年になりますが、ニュー・グレン・ミラー・オーケストラは現在も世界各地で演奏活動を続けています。

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