偉大なる音楽家ジョン・レノン No.3

  • May 07, 2012
  • Pankie Koba

ジョンと楽器について話したいと思います。

ジョンが最初に手にした楽器はハーモニカでした。ミミおばさんの家に来てた学生からもらったハーモニカが気に入って学校に通うバスの中でも吹いていたそうです。その演奏に感激したバスの運転手さんから新しいハーモニカをプレゼントされたエピソードもあります。そして1960年ハンブルグへの初めての遠征の時、立ち寄った楽器屋で1本のブルースハープを買いました。これがホーナーのマリンバンドというもので、「ラヴ・ミー・ドゥー」「プリーズ・プリーズ・ミ」「フロム・ミー・トゥー・ユー」というシングル曲をはじめ、数々の初期の曲に使われました。

そして、ジョンの代名詞ともなった楽器といえば、やはり「リッケンバッカー325」でしょう。

ジョンとギターの出会いから話しますと、前回、1956年のロックン・ロールとの衝撃的な出会いについて話しましたが、この年に通信販売で最初のアコーステイックギター、「ギャロトーン」を手にいれました。これは、母親ジュリアに買ってもらったもので、バンジョーが弾けたジュリアにコードを教えてもらったそうです。

1957年3月に「クオリーメン」を結成してからは暫くアコースティックギターを弾いてましたが、8月に初めて「キャバーン・クラブ」に出演し、エレキギターの大音量が必要になったので、ミミおばさんから頭金を借りて買ったのが、「ヘフナー・クラブ40」です。

その後、1960年にグループ名を「シルバー・ビートルズ」に変え、8月から始まる初めてのハンブルク遠征の前に「ビートルズ」に変わりました。

そしてハンブルグのロット・ホフ楽器店で手に入れたのが、「リッケンバッカー325」です。たまたまクラブのステージでジャズ・ミュージシャンのトゥーツ・シールマンスが、リッケンバッカーを弾くのを見て感激したのがきっかけだそうです。

因みに、この頃トゥーツ・シールマンスはギタリストで、まだハーモニカは吹いてませんでした。

この黒いボディーのショートスケールネックのギターはジョンのトレードマークになったくらい初期の曲にはほとんど使用されました。ショートスケールなので、フレット幅が多少狭く、コードスロークはとても弾きやすかったんだと思います。それと、テンションを得るため、太い弦を張ってたので、硬くてしかもヘビーなサウンドを生み出すことができたわけです。このギターが初期のビートルズサウンドを創ったと言っても過言ではないでしょう。もちろんジョンの強力で正確なカッティングがあったればこそですが。

次に手に入れたのが、「ギブソンJ-160E」です。これは、ハンブルグで共演したトニー・シェリダンが持ってたギブソンES175を「ジャンボ」と呼んで憧れてたので、ギブソンのエレクトリック・ジャンボを注文したら、これが届いてしまったらしい。「エレクトリック・ジャンボ」はJ-160Eの通称だったので。ジョンはこのギターを生涯愛しました。ジョンの全アルバムで使われてます。最初のアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」でもリッケンバッカー以上に頻繁に使われてます。

最後にもっとも気に入ったのが、「エピフォン・カジノES230TD」です。このギターはギブソンES330と同じタイプですが、セミアコのようで実はフルアコのシンラインで、その上Fホールもあるので、生でも結構大きな音がでます。1966年の「リボルバー」以降精力的に使い始めます。

以上の、「リッケンバッカー325」、「ギブソンJ-160E」、「エピフォン・カジノES230TD」はジョンの個性を際立たせ、そしてビートルズサウンドを創った、ジョンの最高の「相棒」たちと言えるでしょう。

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