偉大なる音楽家ジョン・レノン No.6

  • Jul 09, 2012
  • Pankie Koba

今回は、2枚目のアルバム「ウィズ・ザ・ビートルズ」を中心にお話しします。

このアルバムは、イギリスで1963年11月22日に発売されました。アメリカでは、1964年1月20日に、「ミート・ザ・ビートルズ」のタイトルで発売されました。曲目は少し違いますが。

まず、アルバム1曲目の「イット・ウォント・ビー・ロング」。これは「シー・ラヴス・ユー」の姉妹編的作品で、ジョンの作詞・作曲。「シー・ラヴス・ユー」(7月1日)の1ヶ月ほど後の7月30日にレコーディングされ、「イエー」の掛け合いで曲を引っ張っていきます。

因みに、「シー・ラヴス・ユー」で大々的にフィーチャーされた「イエー・イエー・イエー」というフレーズはビートルズのトレードマークになり、東南アジア政府関係者の間で、ビートルズの曲は「イエー・イエー・ミュージック」と呼ばれてました。

余談ですが、小林亜星が作った「レナウン・イエイエ娘」もこのブームから出来た作品です。

もうひとつ、トレードマークになったのが、「ウー・ウー」の掛け声です。ジョンが大好きだったアイズレー・ブラザーズの「ツイスト・アンド・シャウト」から取ったと言ってます。

ライヴでは、ポールとひとつのマイクに駆け寄って首を振りながら「ウー」と歌うシーンが、この時期よく見られます。前回まで書いたハンブルク時代に、お客にうけるためにありとあらゆることをやってきたジョンのエンタテーナー魂から生まれたものでしょう。

話を戻します。

この「ウィズ・ザ・ビートルズ」にはジョンの2つの大きな思いが感じとれます。

ひとつは、ジャケットの写真です。ジョンとジョージはハンブルク時代のかけがえのない友人アストリット・キルヒヘアが撮った写真と同じ感じにしてほしいと頼みました。そしてハーフシャドウの写真は、スチュへの思いも伝わってきます。アルバムの中でポールが歌う曲が「陽」でジョンやジョージが歌う曲が「陰」であることを、ジャケット写真が意味してるとよく言われますが、本物のアーティストになるという強い気持ちが僕には感じられます。

もうひとつは、モータウンのカバーを3曲も取り入れたことです。60年代前半には初期のロックンロールが担っていた泥臭くもモダンなエッジはR&Bが担うようになってました。ジョンが大好きだったということもありますが、当時のシーンの温度を鋭く嗅ぎ分けてたジョンのセンスの顕れでしょう。ジョンは、自分たちを育ててくれたブラックミュージックに対し多大な感謝の気持ちを持って歌ってました。ですから、単にコピーをするのではなく、そのエネルギーとフィーリングを自分たちの血肉とし、オリジナルの作品と思えるまでに高めたんだと思います。簡単に言うと、取っ付きやすく、耳心地のいい洗練されたロックにし、オリジナルを超えてしまったわけです。ビートルズの方がオリジナルだと勘違いしてた人は結構いると思います。現にこの僕もそうでしたから。

このアルバムでのジョンの音楽的特筆は、「オール・マイ・ラヴィング」(ポールの作品です)での16分音符の3連カッティングギターでしょう。この曲にこれをやる発想がまず凄いと思います。ポールのメロディックなベースの動き(4分音符)との絶妙な絡み具合を堪能してほしいです。

1964年2月9日の「エド・サリバン・ショウ」で演奏してたを観た時、ジョンの熟練したカッティングのうまさに驚いたものです。

もう一つは、B面6曲目の「ナット・ア・セカンド・タイム」のエンディングがマーラーの「大地の歌」と同じエオリア旋法(終止法)であること。このロンドン・タイムスに掲載された内容が、ジョンにはなんのことだかさっぱりわからなかったらしい。ジョンの天才ぶりがわかるエピソードです。

これは、ハーモニー(コード)として、メジャートニックのセブンス、ナインスを使い、そこに半音下げた6度の転調がメロディーに組み込まれている部分を音楽評論家が絶賛したものです。

でもジョンは他の曲でも、こういうことを自然にやってます。

いよいよ次回はビートルズが全世界に爆発的ブームを巻き起こした1964年の話をいたします。

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