偉大なる音楽家ジョン・レノン No.8

  • Aug 02, 2012
  • Pankie Koba

大勝利を収めた初のアメリカ訪問から戻ったビートルズは、初の試みとなる、長編映画とタイアップしたアルバム「ア・ハード・デイズ・ナイト」の 締切りに追われることになります。

映画の撮影が始まる1964年3月2日の前に、サウンドトラック用として2月25日から3月1日までに6曲をレコーディングし、映画撮影中の4月16日に「ア・ハード・デイズ・ナイト」をレコーディングしました。空前の大ヒットシングルにもなったA面7曲目の「キャント・バイ・ミー・ラヴ」は1月29日、フランス公演期間中にパリでレコーディングされました。残りの5曲は6月1日と2日にレコーディングされたものです。

全13曲すべてオリジナルというアルバムで、そのうちタイトル曲も含めた10曲をジョンが作詞・作曲しました。

このアルバムのA面(映画で使用された曲)をどっちがたくさんものにするか、そしてどっちがたくさんヒット・シングルを書くか、ポールと競争してたのがわかります。ジョンが一番エネルギーに満ち溢れてた時だったので、上記のような結果になりました。

このアルバムのタイトル「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、とりわけ仕事がきつかった撮影中の夜、リンゴがふと漏らした言葉から生まれました。(語法としてはおかしいけど、リンゴはよく独特の表現をしてたそうで、メンバーはリンゴ語と言ってました。)

ある日家に帰る車の中で、ジョンは、これを映画のタイトルにしようと思ってると、映画監督のディック(後のリチャード)・レスターから聞かされ、次の日の朝に曲を提出し、監督をびっくりさせたというエピソードもあります。

エピソードついでに、1964年3月2日の撮影初日、トゥイッケナム・スタジオで、ジョージは将来の奥様となるパティ・ボイドと出会います。彼女はエキストラとして出演し、食堂車のシーンでその姿を見ることができます。

アルバム収録曲の話に移ります。

まず、なんといってもA面1曲目のタイトル曲「ア・ハード・デイズ・ナイト」!このイントロはGのサスペンデッドコードで、12弦と6弦ギターを何回か重ねて 作ってます。また、歌中もジョージの12弦ギターが小気味よさと厚みを出してますね。ジョージのバッキングギターも無茶苦茶カッコいいです。そして、圧巻は間奏です。低音部のピアノと、ギターのアルペジオのユニゾンで、16分音符3つのフレーズを超高速でやる部分です。極め付けはエンディングでしょう!ポールがDを弾き、そこにギターはFadd9というコードをアルペジオで重ねてます。トニックのGというコードに戻らずに、空に向かって登っていくイメージでフェイド・アウト します。単純なブルース・ロックで終わらせないところがジョンの真骨頂でしょう。ただ、残念なことにサビの部分はジョンが高音が出ないので、ポールが歌ってることです。

次の2曲目「恋する二人」。ここのイントロで、ジョンは大好きなハーモニカを吹いています。ジョージの12弦ギターの小気味よさととてもマッチしてますね。特筆する点は、イントロ・フレーズのトップ音(3拍目ウラ)がコードDにもかかわらず、 F#ではなくブルーノート音Fを微妙に1/4音くらい上げてるところです。ジョンの細かい技と感覚に脱帽です。

次にA面3曲目の「恋に落ちたら」。ジョンが「ジス・ボーイ」に続いて書いたバラードです。「イン・マイ・ライフ」の原型だとも自分で言ってます。「ジス・ボーイ」とともに、クローズド・ハーモニーの名曲です。ポールが上でジョンが下のパートを歌ってますが、ジョンは信じられないハーモニーをつけてます。6度下のハーモニーから始まり、3度下、サビの終わりの7度♭下と多様なハーモニーで、シンプルなメロディーに不思議な奥行と厚みを醸し出してます。 また、曲の構成にもジョンの細かいこだわりを感じます。イントロはキーD♭で始まり、リフの部分はキーDに転調、サビはキーGにもう一度転調し、そして自然にキーDに戻るというジョンならではの展開ですね。個人的に最も好きな曲のひとつです。

A面4曲目の「すてきなダンス」では、ジョンの職人芸であるバッキング・ギターを感じることができます。「オール・マイ・ラヴィング」の3連の正確さに続き、今度は8ビートの曲で16分音符の絶妙なカッティングを披露してます。聴き逃さずに!

A面6曲目の「テル・ミーホワイ」は粋なシャッフルナンバーで、ジョンの大好きな黒人ガールス・グループの曲みたいですね。ここでは、ジョンのファルセットと、やはり絶妙なハーモニーが聴き所でしょう。6度のハーモニーから3度、そして4度、2度、また6度のハーモニーに戻るあたり、モータウンを意識しながら、完璧に超えてしまってます。

A面7曲目の1964年最大のヒット曲「キャント・バイ・ミー・ラヴ」はポールの曲ですので、多くは語りませんがジョンと違ってシンプルな構成ですね。

余談ですが、この曲はアルバム中最もカバーされた曲で、ジャズ・シンガーの大御所エラ・フィッツジェラルドも歌い、1964年5月に小ヒットいたしました。

因みに1964年4月4日付のビルボードチャート(シングル)では、1位が「キャント・バイ・ミー・ラヴ」、2位が「ツイスト・アンド・シャウト」、3位が「シー・ラヴス・ユー」、4位が「抱きしめたい」、5位が「プリーズ・プリーズ・ミー」と5位まで独占し、100位までになんと12 曲がチャート・インしました。

さて、映画には使用されなかったB面ですが、4曲目と5曲目はジョンが作ったウィルソン・ピケットっぽいモータウン風の曲です。

5曲目の「ユー・キャント・ドゥ・ザット」では、ジョンが初めてリードギターを弾いてます。ジョンはこのレコーディングの前に、リッケンバッカーのモデル1996というほっそりしたデザインのギターを買いました。当時かなりの貴重品だったこのギターでリードを弾いてみたかったんでしょう。

さて、ジョンの曲を中心にお話ししましたが、このアルバムにより、ビートルズはアメリカだけでなく、世界中を席巻しました。

イギリスでは、1964年7月10日にEMIからリリースされ、21週間ナンバー1を獲得。アメリカでも、1964年6月26日にユナイテッド・アーティスツからB面の収録曲を変えてリリースされ、14週間ナンバー1を獲得。

アメリカ・キャピトルは、著作権の関係で、映画に使用されなかった3曲を加えた「サムシング・ニュー」というアルバムを1964年7月20日にリリース。9週間ナンバー2を獲得。ユナイテッドのアルバムには当然勝てませんでしたが、それでも1年間に200万枚以上を売り上げました。

実は、弊社の会社名は、このアルバムから名付けました。ロゴもです。一度「サムシング・ニュー」で検索してみてください。

因みに日本では1964年8月1日の映画公開に合わせて、「ビートルズがやってくる来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」のタイトルで、8月にシングル、9月にアルバムが発売されました。初めてイギリス盤と収録曲が同じでした。

さて、次回はジョンが運命の出会いをする1964年8月28日からのお話です。

レンタルのはじめの一歩 →
『お申込/お見積』のご依頼を!

レンタルのお申込/お見積