偉大なる音楽家ジョン・レノン No.17

  • Aug 05, 2014
  • Pankie Koba

1969年、ジョンの曲がシングル盤として2曲リリースされました。

1枚は4月11日にリリースされた「ゲット・バック」のB面「ドント・レット・ミー・ダウン」。もう1曲は5月30日にリリースされた「ジョンとヨーコのバラード」。この2曲の共通点はジョンのヨーコへの思いを歌ったところですね。

「ドント・レット・ミー・ダウン」は1月28日にアップル・スタジオでレコーディングされたもので、この時期のビートルズメンバー最悪の状態から脱出したいと、ヨーコに救いを求めているように感じます。ジョンの悲痛なまでのヴォーカルが最高です。(ポールのアイデア溢れるメロディアスなベースには心底脱帽してしまいますが・・・)

どんなに最悪な関係の時でも音楽に対する愛情と情熱、相手への尊敬の念、プロ魂みたいなものが伝わってくる名曲だと思います。何度聴いても泣けてきます。

もうひとつの「ジョンとヨーコのバラード」は3月20日の結婚式直後に書かれた曲で、4月14日にアビイ・ロード・スタジオでジョンとポールの二人だけでレコーディングされました。この時いかに機嫌よくノリノリでレコーディングが行われたかがわかる曲です。

どちらの曲もとてもシンプルなコード進行で、自分の原点であるロックに戻ろうという気持ちが窺えます。その傾向は最後のアルバム「アビイ・ロード」の中でも感じます。

この「アビイ・ロード」は「レット・イット・ビー」のレコーディングが終わって間もない1969年2月22日から8月19日にかけて収録されました。

このアルバムの冒頭を飾る「カム・トゥゲザー」。(ここでもポールのメロディアスでファンキーなベースが絶品です。・・・ あまりポールを褒めたくないのですが、彼ほど天才という名が相応しい人はいないのではないかと思います。)そしてA面最後の「アイ・ウォント・ユー」。2曲ともとてもシンプルなコード進行で、ジョンらしいヴォーカルが聴ける名曲です。もう小細工は一切しなくなりましたね。

ヘビーなロックで始まり、ヘビーなロックで締め括られるA面が終り、B面の2曲まではビートルズですが、B面の3曲目からまるでビートルズとは思えない荘厳なシンフォニーのようなメドレーが始まります。(曲や構成は素晴らしいと思いますが、個人的にこれがビートルズの目指していた最終形だとは思いたくないし、またここにはいかにもポールがプロデューサーとして力を発揮している感じが見えます。)

メドレーの中にジョンの曲が3曲あります。「サン・キング」と「ミーン・ミスター・マスタード」と「ポリシーン・パン」です。ただ、このB面3曲目からはポールの作品という感が否めない構成に仕上がっているので、「サージェント・ペパーズ」のようなジョンのメッセージが消えてしまっています。

ポールがプロデューサーとして見事だと思う特出する点は、まずB面3曲目からのメドレーが始まる前にジョンの「ビコーズ」を持ってきたこと。この曲はベートーヴェンのピアノ・ソナタ「月光」をヨーコが弾いてるのを聴いて想いついた曲だそうで、9パートのハーモニーに仕立てたアカペラの曲はメドレーの序章にピッタリですね。

もう一つは、B面最後の「ジ・エンド」(もうひとつおまけの「ハー・マジェスティ」がありますが。)でリンゴに初めてドラム・ソロを叩かせたことでしょう。あれほど嫌がって一度もソロを叩かなかったリンゴをようやく最後に説得しました。

音楽家としてでなく、プロデューサーとしてのポールを褒めてしまうことになってしまいました。 もちろん音楽家としても天才だし、大好きな曲もたくさんあります。ただ、世間ではビートルズのヒット曲はほとんどポールが作ったものだと思っている人がかなりいるし、ポールがビートルズの中心人物だったように思っている人もいるので、ジョンの音楽家としての素晴らしさと偉大さを少しでも理解してもらえればと思い、書いてきました。

「アビイ・ロード」がリリースされる9月26日より少し前の9月20日にジョンは他の3人にビートルズ脱退を告げます。ただ公表はしませんでした。そんな簡単には決断できなかったのだと思います。

そして翌年の1970年4月10日にはポールがビートルズ脱退を表明。

ビートルズの解散が初めて公の場で明らかになるとジョンはショックを隠し切れなかったそうです。自分から言い出したとはいえ一縷の望みを持っていたのでしょう。

翌月の5月8日に最後のオリジナル・アルバム「レット・イット・ビー」がリリース。映画も5月13日にニューヨークでプレミア上映されます。でもメンバーは誰も出席しませんでした。

暫くしてからジョンは地方の映画館でヤン・ウェナーと一緒に鑑賞し、号泣したそうです。

そしてこの年の夏にはアップルは実質閉鎖になり、12月30日にはポールがビートルズのパートナーシップ解消を要求する訴訟を起こし、ジョン、ジョージ、リンゴの3人を告訴します。

翌年1971年3月12日、ポールの「ビートルズ解散」要求訴訟が認められ、ビートルズの幕を閉じることになりました。

なんともやりきれない幕切れでした。

ジョン、ジョージ、リンゴの3人は上告もせず、また、ビートルズの音楽著作権もほとんど手放したまま放棄してしまいました。

やはり1967年8月27日に亡くなったブライアン・エプスタインの存在がジョンにとって、またビートルズにとっていかに大きかったか・・・

ただ、最愛の伴侶であるヨーコのおかげで、このあと新たなジョンの歴史が始まります。

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