よこはま物語 その6
前回のCHIBOWさんと並んで本牧を代表する本物の不良、それが写真の小山成光(しげみつ)さんです。
横浜のダンスと言えばハマチャチャ。そのハマチャチャを生んだのがこの小山さんです。
米兵と日本の女の子で溢れかえっていた元町のディスコ「リバーサイド」。
1968年、ある日本人の若者達がこの店で出会い、仲間になりました。
川崎のルーキーさん、伊勢佐木町のカタヤンさん、中華街のハチさん、元町の内藤さん、そして本牧の小山さんの5人です。
みんなR&Bとダンスが大好きな若者で、毎晩のようにここに集まり、ソウルチャチャと呼ばれる黒人兵の8ステップをアレンジした独自のダンスを生み出しました。
それがハマチャチャです。
本牧のディスコ「LINDY」
5人の中でも、小山さんは長身でハンサムでダンスが抜群に上手。おまけにオシャレとくればもてないわけがありません。
あっという間に横浜中のディスコに知れ渡り、小山さんのハマチャチャを見たくてお店に来る女の子がどんどん増えました。
そのお店が、1974にオープンした本牧のディスコ「LINDY」です。
ボルサリーノの中折れ帽に真っ赤なスリーピーススーツとステッキがトレードマークでした。
LINDYの初代店長 栗林秀明さんとDJブースの黄色いシトロエン
特に小山さんと弟子の栗林さんが一緒に踊るハマチャチャは最高のショータイムで、二人が踊り出すとダンスフロアには誰もいなくなり、みんなただの観客になって見とれるばかり。
店内にあった運転席がDJブースになった黄色いシトロエンも忘れられません。
LINDYは1986年に惜しまれながら閉店しました。
小山さんのお店「LA-JOY」の入口
LINDYと同じ年の1974年9月に小山さんのお店が本牧にできました。
写真の壁の色は白ですが、最初は真っ黒で要塞のようでした。
会員制のバーで、会員カードは初め3万円でしたが、バブルの頃は30万円になっていたらしいです。会員には藤竜也や松田優作などの有名人も随分いたようです。会ったことはありませんでしたが・・・
入口ドアの差し込み口にカードを挿入するとドアが開くという当時としては画期的な仕組み。
なぜ、お店の壁の色を黒から白に変えたかというと、入口の黒いバラと赤いバラを強調したかったためです。
これは小山さんが胸に入れていたタトゥーと同じデザイン。小山さんはバラを愛していました。
小山さんは、亡くなる2年前にお店の名前を「LA-JOY & LED ROSE」に改めました。
そして2016年1月22日66歳の若さで亡くなりました。
今はお店もなくなってしまいました。
でも小山さんが生んだハマチャチャは不滅です。女の子にもてるためにつくった独自のディスコダンスが横浜の誇れる文化になったのです。
今でも関内にあるライブレストラン「ハート&ソウル」に行くと60代・70代の素敵な女性がグループでハマチャチャを踊っています。
それを見るたび、小山さんのカッコいい姿を思い出します。僕の憧れでした。
余談ですが、LINDYの元店長 藤中一郎さんに師事した若者たちが2016年に発足した「関東ハマチャチャ同好会」は精力的にレッスン・イベントを行っており、なんと「関西ハマチャチャ同好会」も発足され、今やその活動は全国に拡がりつつあります。
LINDY時代と同じように一緒に踊る小山成光さんと栗林秀明さん