よこはま物語 その14

  • May 17, 2024
  • Daisuke Kobayashi

1958年元町商店街に誕生した「ユニオン」

1958年元町商店街に誕生した「ユニオン」、横浜を代表するスーパーマーケットです。

横浜の米軍家族向けの、当時なかなか日本では手に入らない輸入食品・お酒・コーヒー・紅茶などの品揃えがマスコミで話題となり、東京からも買い物に来る富裕層が増え、高度経済成長期には「明治屋」や「成城石井」を凌ぐ大人気店になった高級スーパーです。

その「ユニオン」に日本で初めて登場したのが「フローズンコーク」でした。

1971年か72年(僕が高校1年か2年の頃)、夏休みの時期にユニオンの新商品「フローズンコ-ク」が発売されました。

ケンタッキーやマクドナルドが日本に上陸した直後だったので、アメリカが感じられる夏限定商品として爆発的な人気を呼び、毎年夏になるとユニオンの前には若者の大行列ができたものです。

フローズンコークとは、飲むその瞬間にシャリシャリのかき氷状態になるコカ・コーラで、ビンの容器に入ったまま勢いよく揺すり(当時はまだペットボトルがありませんでした)、-5℃くらいになるまで2~3時間ゆっくり過冷却させ、振動を与えないようそっと取り出し、栓もそっと開け、容器に注ぐと、その瞬間にフローズンコークが出来上がるというわけです。

因みにコーラは糖分や香料が入っているので、凍るのは-5℃くらいになるそうで、過冷却でまだ固まっていない状態のコーラのビンを開栓し注ぐという行為で、なんらかのエネルギーがコーラに加わり、かき氷状態になるそうです。

その後、1974年セブンイレブンが江東区・豊洲にできてから、ものすごい勢いでコンビニが増え、飲み物の新商品も次々と開発されたため、僕が大学生の頃、フローズンコークはいつのまにか消えてしまいました。

しかしユニオンは未だ健在です!

この元町商店街が光の部分だとしたら、その横に流れる中村川はずっと影の部分でした。

1960年代から日本の三大ドヤ街(2つは東京の山谷と大阪の西成)の一つと呼ばれるようになった寿町が中村川の石川商店街の反対側にあり、その上流の中村町まで日雇い労働者が集まるエリアになっていました。

ですが、中村川を行き来するダルマ船(ハシケ、ドヤ船、バージとも呼ばれる)のおかげで、昭和初期から戦前まで多くの問屋が川沿いに建ち並ぶ景気のよい時期もあったのです。

日米和親条約によって開港した横浜には、土地を持たない農民が港湾労働者として全国から集まってきました。開港直後は港の整備が不完全で、貨物船を着岸させての積荷の受け渡しが危険だったため、ハシケ(ダルマ船)運送業者が沖まで出て荷を受け取る形態が次第に定着していったそうです。後にダルマ船を引っ張るタグボートという小型船が現れ、大幅に効率が上がりました。

横浜港で活躍するダルマ船
横浜港で活躍するダルマ船

しかし、1960年代に入ると横浜港の貨物取扱いが大幅に増えたため、高島埠頭、出田町埠頭、山下埠頭、大桟橋ターミナル、そして本牧埠頭と大型船が着岸できる港湾施設が次々と建設され、さらにコンテナ輸送の時代になったので、ハシケ運送業者の出番は急激になくなり、数多くのダルマ船が元町の中村川河口付近に係留されたままとなったのです。

そうして前述の寿町や中村町には仕事のないハシケ運送業者が溢れるようになりました。

中村川に浮かぶ使われなくなったたくさんのダルマ船
中村川に浮かぶ使われなくなったたくさんのダルマ船

明治時代から、ほとんどのハシケ運送業者の家族は自分のダルマ船で生活していました。

土地を持たない農民の人がほとんどだったのでこの頃はそれが当たり前でした。

船の中に勝手に電線を引いて電気製品も使えるようにしたり、もちろんお水はタンクに溜めてあり、郵便ポストもありました。

中村川のダルマ船での生活風景
中村川のダルマ船での生活風景

中村川のダルマ船で生活するハシケ運送業者
中村川のダルマ船で生活するハシケ運送業者

しかし、住所も定かでなく生活時間もまちまちでは、子供たちは学校に通うこともできなかったので、そういう水上生活者の子供たちを預かって教育する「日本水上学校」が、クリスチャンの伊藤傳(つたえ)氏によって1942年山下町にできました。(※最初は山下町の「印度人商館」という建物内に校舎がありました。)

ダルマ船で生活する子供たち
ダルマ船で生活する子供たち

ですが、前述の通り、ハシケ運送業者が急激に減ったことと、山下町に港湾労働者の公営アパートができたことで、1967年に「日本水上学校」は閉校します。(※現在、学校部門は学校法人「聖坂養護学校」、宿泊部門は社会福祉法人 「日本水上学園」という児童福祉施設として存続しています。)

そして不法係留のダルマ船は次々に撤去され、中村川は大量のゴミと悪臭のドブ川ではなくなりました。

ただ、最後まで立ち退かなかったのが、一泊¥1,000で船の休憩所なる宿泊施設をやっていた「北斗星」というダルマ船でした。

船の休憩所「北斗星」の入口
船の休憩所「北斗星」の入口

残念ながら、2011年2月に役所の横浜治水事務所により強制撤去されてしまいました。

現在、中村川はハゼ釣り大会も行われるくらい水がきれいです。

保健所によると食べても問題ないそうですが、昔のイメージがまだ残っているので・・・。

生まれ変わった中村川
生まれ変わった中村川

 

 

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