よこはま物語その33


京浜急行「神奈川駅」から歩いて5、6分の台町にある、160年以上続く横浜で最も歴史のある料亭「田中家」。
横浜で現存する唯一の料亭です。
田中家のあるこの辺りは、むかしから神奈川台町と呼ばれ、海沿いの景勝地として広く知られていました。
江戸時代には、東海道五十三次の中の、日本橋から数えて、品川、川崎に続く第三番目の「神奈川宿」として栄えました。最盛期にはおよそ1,300軒もの本陣、宿、茶屋が軒を並べていたそうです。
海の眺めを楽しむため、台町の坂道沿いにはたくさんの腰掛け茶屋が並んでいました。
その様子は、安藤(歌川)広重による「東海道五十三次」の神奈川・台之景にも描かれています。
坂の上から三軒目の「さくらや」という旅籠が「田中家」の前身です。

幕末の文久三年(1863年)に、初代の晝間弥平衛がそのさくらやを買い取り、「田中家」がスタートしました。
その少し前の安政六年(1859年)に横浜開港が決まり、各国の領事館が次々とこの辺りにも置かれました。また多くの外国人が商館を構えるなど、横浜はこのあたりから現在の山下公園までを中心に国際都市として発展していきます。
運よく田中家の目の前に米国領事館が作られたことにより、多くの外国人そして日本の政財界の著名人が接待や会食にこの田中家を使うようになりました。
明治時代には、田中家は1200坪の広さを誇り350人以上の使用人をかかえる横浜で一番大きい料亭となりました。

明治の頃は、田中家の下まで船でやってくるお客様もいたし、部屋から釣り糸を垂らすお客様もいたそうです。
逸話として、田中家は西郷隆盛と高杉晋作が討幕の計画を練った場所でも知られています。また、明治時代の常連客の中には伊藤博文、大山巌、乃木希典、夏目漱石、菊池寛、勝海舟らの名だたる人物もいたそうです。


1874年(明治7年)から2~3年間、勝海舟の紹介で、坂本龍馬の妻であったお龍(おりょう)が仲居さんとして働いていました。英語が話せたので、外国人の接客に活躍したといわれています。

坂本龍馬の妻お龍

坂本龍馬が書いたお龍への手紙

坂本龍馬が書いたお龍への手紙の現代語訳
それでは、前回の隣花苑同様、田中家の素晴らしいお料理と器をご堪能ください。














田中家五代目女将 平塚あけみさん

五代目女将は三味線を弾いてお客様をお出迎えすることもありました。

田中家六代目女将 晝間貴子さん
現在は、平塚あけみさんがご高齢のため、六代目の晝間貴子さんがお店を切盛りしています。
料亭と聞くと敷居が高くて入りにくいですが、今は割烹料理店に変わりましたので、誰でも気軽に入れるようになりました。皆さんも新年会などに利用してみてはいかがでしょうか。
貴重な写真や絵画も見れますよ!