よこはま物語その36

  • Apr 20, 2026
  • Daisuke Kobayashi

終戦直後、上陸する米軍を横浜が最初に迎え入れることになるまでに、日米間で綿密なやりとりが行われました。

陸軍参謀本部次長の河辺虎四郎中将率いる6名が、マッカーサーのいるマニラに飛び、マッカーサーの片腕と呼ばれたサザーランド参謀長と、連合国軍上陸の細かい打ち合わせをしました。

河辺中将は、サザーランド参謀長から、司令部を東京の皇居か帝国ホテルに置くというマッカーサーの意向を伝えられました。

米陸軍第8軍初代司令官アイケルバーガー中将や側近が、治安や衛生面が比較的良好な鎌倉・逗子・葉山地区に臨時の司令部を置くようマッカーサーに進言しているという話もありました。

概要情報は事前に得ていたので、皇居も御用邸のある葉山地区も絶対に避け、横浜上陸を進言することが河辺中将のミッションでした。

その交渉がうまくいき、1945年8月21日深夜、総理官邸から進駐軍上陸の地は横浜に決定したと藤原孝夫神奈川県知事に電話で伝えられました。

1945年8月30日午後2時過ぎ、厚木飛行場にダグラス・マッカーサー元帥の専用機バターン号が到着、マッカーサーがコーンパイプを銜えながらタラップを降りてきました。

ダグラス・マッカーサー元帥

ダグラス・マッカーサー元帥

その前に到着していたアイケルバーガー中将率いる1200名の進駐部隊とともにマッカーサーと幕僚一行は横浜に直行しました。

夕刻には関内に到着し、連合軍総司令部を横浜税関ビルに、第8軍司令部を日本郵船ビルに設置しました。

マッカーサーと幕僚たちはホテルニューグランドに宿泊。

マッカーサーにとっては、再婚相手のジーン夫人と長男のアーサー君と一緒に1937年ハネムーンで訪れた思い出のホテルでした。

ハネムーンで日本に訪れたマッカーサー、ジーン夫人、長男のアーサー君
ハネムーンで日本に訪れたマッカーサー、ジーン夫人、長男のアーサー君

1945年9月2日、連合国軍の艦隊が横浜沖に集結し、金沢八景の沖合にいる戦艦ミズーリの艦上で降伏文書が調印されました。

9月2日 調印式の朝、ホテルニューグランドから出発するマッカーサー
9月2日 調印式の朝、ホテルニューグランドから出発するマッカーサー

米戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式
米戦艦ミズーリ艦上での降伏文書調印式

1945年9月17日、総司令部は赤坂のアメリカ大使館に移り、10月2日、日比谷の第一生命館にGHQマッカーサー執務室が設置されましたが、第8軍の司令部は横浜に残ることが決定し、横浜は占領軍全体の4分の1にあたる9万4千人を受け入れることになりました。

マッカーサーと昭和天皇
マッカーサーと昭和天皇

本牧は、米海軍横須賀基地横浜分遣隊の管理下に置かれ、約70万平方メートルの広大な地域が米軍の軍人・軍属・家族の居住地として接収され、1946年10月1日には米軍家族第一陣が入居しました。

1982年(昭和57年)3月31日の本牧米軍接収地返還式までの間、本牧はまさにアメリカそのものでした。

さらに1950年の6月25日に勃発した朝鮮戦争のために、横浜海浜住宅と呼ばれた米軍家族の木造住宅が本牧およびその周辺に1,200棟建てられました。

米軍家族の居住地との間にはフェンスが設置され、本牧通りの海側が「エリア1」(別名「SEASIDE AREA」)と呼ばれる下士官用の住宅地で386棟の住宅が建てられました。アメリカンフットボール場もありました。

エリア1入口の案内板
エリア1入口の案内板

本牧通りを挟んで反対側が「エリア2」と呼ばれる将校用の住宅地で「NASUGBU BEACH AREA」(ナスグブはフィリピンのリゾート地)とも呼ばれ、486棟の住宅が建てられました。ビル・チカリング劇場(映画館)、ボーリング場、PX、ガソリンスタンド、美容室、床屋、アメリカンスクール、野球場などがありました。

エリア2入口の案内板
エリア2入口の案内板

エリア1も2も1棟に庭、家具、家電、車、冷暖房完備の4~5LDKの世帯が2~3つ入っていました。

そして、本牧山頂地区や森林公園周辺の根岸住宅地区は「エリアX」と呼ばれ、上級将校用の住宅が建ち並んでいました。

エリア1の風景
エリア1の風景

エリア2の風景
エリア2の風景

GHQは日本政府に、米兵家族の住宅建築とともに、家具や家電を90万点製造することを命じました。費用はアメリカ政府の負担で。

日本家屋しか建てたことがない住宅メーカーがほとんどだったので、建物は日本風の部分もあり、瓦屋根の住宅も多くありました。

1945年10月に、戦闘機などを製造していた日本飛行機社の技術者たちが航空機用のジュラルミンを持ち寄り、鍋、フライパン、おたまなど作ったところから創業した横浜磯子区の岡村製作所が、キッチン用品や家具の製作を依頼されました。

エリア1の住宅

エリア1の住宅

エリア1の住宅
エリア1の住宅

エリア2の住宅地

エリア2の住宅地

エリア2の住宅地
エリア2の住宅地

皮肉なものですが、進駐軍のおかげで日本の大量生産技術、インフラの技術、団地・分譲住宅の建築技術が飛躍的に向上しました。

そしてかっこいいアメリカの憧れの生活と文化が入ってきたのです。その玄関口になったのが本牧でした。

それでは最後に上級将校用の住宅地「エリアX」の写真をご覧ください。

エリアXの住宅地

エリアXの住宅地

エリアXの住宅地

エリアXの住宅地

エリアXの住宅地
エリアXの住宅地

 

 

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