よこはま物語その39

横浜橋通商店街
横浜橋通商店街は、横浜市営地下鉄ブルーライン「阪東橋駅」から大通り公園を超えるとすぐのところにあります。
1859年横浜開港当時、横浜港に停泊する貨物船から「はしけ(だるま船)」を使って荷物を運ぶ水上交通の重要ルートとして、大岡川から分流する中村川が掘削され、石川町から南区中村町あたりの中村川には港湾荷役を担う船上生活者が多く暮らすようになり、その商品を扱う問屋さんがこの場所に集まるようになりました。
さらに1888年(明治21年)には真金町・永楽町に「永真遊郭」が誕生し、ここで働く遊女たちの衣食を支えるためのお店も増えていき、関東大震災復興後の1928年(昭和3年)、横浜橋通商店街が誕生いたしました。いまでも「ハマのアメ横」として親しまれています。
隣の真金町の遊郭に生まれ育った落語家桂歌丸がここの名誉顧問を務めていたので、「歌丸通商店街」に改称する動きがあります。

終戦後間もない頃の横浜橋通商店街

1968年(昭和43年)アーケードが完成した横浜橋通商店街

横浜橋通商店街中程の細い路地を入るとまだ昭和そのもの

ここは横浜橋市場と言います。
総合食料品と書いてありますが今はキムチ屋さんしかやっていません。
まるで昭和の映画のセットみたいですね。

横浜橋通商店街から中村川に向うと、三吉橋のたもとにある「三吉演芸場」
三吉演芸場は1930年(昭和5年)に開館した横浜市内に現存する唯一の芝居小屋です。
1階にあった銭湯「草津温泉」の2階休憩室を、ご近所さんの日本舞踊や義太夫の発表や練習の場として貸したのが始まりで、当時は「三吉館」や「貸席三吉」と呼ばれていました。
奇跡的に横浜大空襲の戦火を免れ、1950年(昭和25年)6月に「三吉劇場」と名を改めて再開。
1957年(昭和32年)1月には、当時の映画ブームにあやかり、鉄筋2階建て272席の映画館「三吉映画劇場」に転向。
しかし昭和40年代にはテレビの普及で映画の観客が激減したため、1973年(昭和48年)12月より「三吉演芸場」の名称で、大衆演劇専門劇場として再出発しました。
前述の噺家 桂歌丸もこの頃から定期的に独演会を行うようになりました。

2018年(平成30年)7月2日に81歳で亡くなった桂歌丸師匠

三吉橋を渡ってすぐ左折して中村川沿いに歩くと100mほどの所にある老舗大衆食堂「埼玉屋食堂」
今回一番紹介したいお店が老舗の大衆食堂「埼玉屋食堂」です。店名は創業者の女将さんが埼玉県出身だったからだそうです。
1929年(昭和4年)創業で、最初は朝5時頃から昼食時までの営業でしたが、今は7:30~13:00と16:00~19:00(18時頃にラストオーダー)です。

埼玉屋さんの店内。今も喫煙OKです。

近所の猫ちゃんも常連さんです!

素晴らしい品数と信じられない安さ!ネタの良さと美味しさは保証します!
ところてんや味噌田楽もありますよ!
定食ご飯もので500円~800円。おつまみ類は200円~400円。お酒を2、3杯飲んでも2,000円でお釣りがきます。

和食以外にナポリタン、オムライス、ピザ、ラーメンも!

焼き魚とお惣菜の数々

豚の生姜焼き定食 800円 しじみのお味噌汁が最高です!

牛のミニステーキ 350円


牛鍋定食 800円 しじみのお味噌汁です!


埼玉屋さんが大好きだったエディさん。
お隣はエディさんと幼馴染みの中華街の小手さん。

エディさんと僕の音楽の先生久野さん

晩年のエディさん

埼玉屋さんの3代目ご主人

ご主人の奥様。
お隣はオールディーズを歌わせたら横浜一の歌手大図さん。
サザンの原坊のお兄さん(関内の天吉オーナーでベーシスト)と浅野高校時代からバンドを組んでいて、今も一緒にライブやってます。

ご主人のお母様 峯木京子さん。
大女将でまだまだ現役です。
先日90歳になりました!
儲けを度外視した昭和の心意気が溢れる埼玉屋さんにも僕は永遠を感じます。
皆さんも是非一度訪れてみてください!