よこはま物語 その3
写真提供:横浜市史資料室
横浜大空襲(1945年5月29日)で焼野原と化した約70万平方メートルの本牧地区。
ここは、米軍の軍人や軍属とその家族の居住地として接収され、1946年10月1日に米軍家族の第一陣が入居しました。
その後約1,200戸の米軍住宅が横浜にできましたが、最も集中していた場所がこの本牧地区でした。コロニア風の2階建ての住宅が立ち並び、終戦後バラック小屋に住んでいた日本人には、フェンスの向こうはまさに別世界でした。
1982年3月31日の本牧米軍接収地返還式まで、本牧はアメリカそのものを最先端で受け止める宿命を担い続け、ここから最新のアメリカの文化・情報が東京に発信されていきました。
写真提供:横浜市史資料室
彼らは自分たちの住宅地に、学校・銀行・PX(Post Exchangeの略 売店)・ボーリング場・映画館・野球場・テニスコート・教会などアメリカの生活すべてを持ち込んだのです。
余談ですが、1968年(当時中学1年生でした)、PXで働いていた親友のお母さんが、日本のどこにもなかったスケートボードを買って来てくれて、フエリスや雙葉女学院前の坂道でよく滑っていました。(当時ローラーサーフィンと呼ばれ、ボードも車輪の枠も木製でした。)まだ日本で発売されていないロックやブルースのレコードもこの親友のお陰でいち早く聴くことができたものです。
当然、本牧地区には米軍家族も利用する輸入雑貨店や飲食店ができるようになりました。1899年に設立された「V.F.W」(Veterans of Foreign Wars)という米国退役軍人組織のクラブ(バー)もできました。
ここ本牧から生まれたものに「四角いピザ」があります。
「V.F.W」の隣に1952年オープンした「Italian Gardens」がその発祥の地です。このお店のシェフ「ジョー・バナティニ」という人が元イタリア潜水艦のコックで、潜水艦時代の電気オーブンで焼く四角いピザを思い出し改良したものだそうです。
この四角いピザは、シチリア島のパレルモの庶民フードで、電気オーブンで焼くパンピザ「スフィンチョーネ(シシリンピザ)」が原型で、もともと四角でした(当然その方が効率的なので)。ただし、生地が固くならないように2mmのクリスピーで早く焼きあがるように工夫されました。
その後もこの四角いピザを提供するお店は「CLUB ITALIAN GARDENS」(1962年開業)、「VENICE」(1965年開業 レストランItalian Gardensから変更)、「Ricksha Room」(1961年開業)、「アネックス」(1966年開業)、「ALOHA café」(1976年開業)と増えていき、本牧の代名詞として定着していったのです。
因みに東京で四角いピザを提供している六本木「シシリア」(1954年開業)のオーナー堀井克英氏は、1952年から2年ほど「Italian Gardens」で働いていた時に、シェフのジョー・バナティニに教えてもらったそうです。
今では本牧を代表する上記のお店はすべてなくなってしまいました。しかし、旧「イタリアンガーデン」のオーナー八木弘之氏が向かい側のビルで1997年にバー「IG」をオープンし、本牧の代名詞である四角いピザを守り続け、数年前から本牧だけでなく横浜中に普及する活動を行っています。
横浜の中区・西区を中心にバー・レストランのみならず和食・寿司・居酒屋などにも「本牧ピザ」の名前でこの四角いピザを提供するお店が増えています。
「四角いピザ」の歴史は本牧そのものと言えるでしょう。そして、本牧ピザがある限り、未来永劫、あの本牧の香りは伝えていけると信じています。もうすぐ古希の八木さんに心からエールを送ります。