よこはま物語その37


グランブルーのネオンが記憶に残る本牧の伝説的なレストラン・バー「リキシャルーム」
前回の続きになりますが、朝鮮戦争勃発の1950年(昭和25年)から、米軍がベトナム戦争から撤退する1973年(昭和48年)までが、本牧が一番アメリカらしい時代でした。
「本牧チャブ屋街」(1958年売春防止法により撤廃されました)ができ、V.F.W.やItalian gardens(イタリアンガーデン)などのレストランや、ゴールデンカップスを生んだゴールデンカップ、ハマチャチャで有名になったディスコLINDYなど本牧を代表するお店が続々できましたが、やはり一番語られる伝説的なお店と言えば「Ricksha Room(リキシャルーム)」でしょう。
リキシャルームは1961年(昭和36年)に米国人船乗りのハリー・コルベット氏と飯田かよ子さんのお二人で始めたレストラン・バーです。
ハリー・コルベット氏は1952年(昭和27年)にオープンしたイタリアンガーデンで一時期働いていました。そこで貯めたお金で元々ハンバーガーショップだったリキシャルームの場所を買い取り、米軍相手のレストラン・バーを始めたのです。24時間営業のお店は大繁盛しました。
さらにイタリアンガーデンのオーナーであった東久世寿々ヨ夫妻からイタリアンガーデンの営業権も譲り受け、夫婦で毎日寝る暇もない忙しさだったそうです。

オープンした時のリキシャルーム

オープンして1年後くらいのリキシャルーム

暫くして日本人も来るようになった頃のリキシャルーム

出会った頃のハリー・コルベット・飯田かよ子ご夫妻
リキシャルーム最大の魅力は、その妖しげな雰囲気でした。常時暗い雰囲気を出すため窓は一つもありませんでした。
外のネオンサインもブルーでしたが、入って右側のカウンターのバックバーもブルーライトで、左側のテーブル席はほの暗いキャンドル照明だけ。
2階のテーブル席もキャンドル照明だけで、暗くてメニューが読めないお客様には懐中電灯を貸してくれました。
隣のテーブルに知り合いがいてもわからないほど暗く、浮気相手の女性と同伴で訪れた後でたいへんな目にあった人もいたようです・・・
1970年代半ばの話ですが、まだその当時は米兵も外国人船乗りもたくさん来てたので、朝方でもカウンターの前は立ち飲み状態でした。
静かな雰囲気で食べたい方は2階席でしたね。
その頃はもう営業時間が夕方5時~朝8時に変わっていました。
よこはま物語その4でも書きましたが、その頃僕はしばらく本牧元町に住んでいたので、演奏帰りの朝方、よくゴールデンカップに寄って食事してましたが、たまにリキシャルームでも食事しました。ちょっと高かったので月に1回くらいでしたが。
料理もよく見えない中で食べてましたが、とても美味しかったことを覚えています。
メニューは、イタリアンガーデン直伝の四角いピザはもちろん、ステーキ、ハンバーグ、ハンバーガーをはじめ、バーベキュースペアリブ、エビやホタテのフライ、エスカルゴ、グラタン、パスタもありました。

リキシャルームの四角いピザ

1962年(昭和37年)頃のバーカウンター

リキシャルーム2階テーブル席の壁にも人力車が描かれていました
オーナーのハリーさんが亡くなった後は、かよ子さんが二人の娘さんメリーさんとエヴリンさんに手伝ってもらい、頑張ってきましたが、2002年(平成14年)契約更新できず、遂に取り壊されてしまいました。
しかし根強いお客様からの要望と応援により2003年(平成15年)小港橋の方に30メートル行ったマンションの半地下に再オープンできました。
ですが、かよ子さんがご高齢とお病気のためお店に出られなくなってきたので、2009年(平成21年)遂に閉店してしまいました。
そしてリキシャルームはいつまでも語り継がれる伝説のお店になりました。

新リキシャルーム1階エントランスのブルーのネオンサイン

新リキシャルームの入り口ドア

中のホワイエ的スペース

カウンターのバックバーはもちろんブルーライト

四角いピザも健在でした